本州最北端の地 大間崎に行ってきました

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青森県下北半島の先端。

大間の見どころは大体ここに集約されており、車を停めたら後は徒歩で移動できます。

本州最北端の地

 

北緯41度32分。

東経140度55分。

 

少し先には弁天島と大間埼灯台が見えます。交通手段は漁船のみ。

赤い弁天神社本殿もかすかに見えます。その向こうは北海道函館。

 

しかし風が強いし寒い。

 

カモメがご飯を食べていましたが、近寄ったら逃げちゃいました。

 

魚がなごり惜しいのか、様子を伺いつつ、食べるカモメ。

 

動画。

 

美味しそうな海藻。

 

マグロ1本釣りのモニュメント

 

豊国丸戦死者忠霊碑

 

戦争で135名もの死者を出し、今なお約90名が大間崎沖の海で眠りに就いています。

もう少しで終戦だったのに。

昭和20年7月13日に宮城県塩釜を出港。大湊に向かっていた豊国丸は、途中、青森県八戸に仮泊。14日朝、八戸飛行場への米軍による爆煙を確認し、全速力(最大速力12.5ノット)で出港、対空戦闘を開始したものの、午前中のうちに乗員の6割が戦死あるいは負傷。午後2時頃、大間沖から大湊へ向かっていた豊国丸は函館市街の攻撃を終えた戦闘機の標的となる。既に機銃員のほとんどを失った豊国丸は、なすすべなく攻撃を受け、午後2時30分、艦長の渡部成己少佐が「総員退去、軍艦旗降ろせ」の令を下し、ロープで体を舵輪に結びつけ、軍刀を左手に握り締めた姿を最後に約90名が艦と運命を共にしました。

艦が沈んだ後、48名が生き残っていたが、海流に流された者、海に沈んだ者など多くが行方不明となり、生存者は海流に乗って大間沖から大畑海岸へたどり着いた12名だけでありました。津軽海峡・大間沖に沈んだ旧日本海軍特務艦「豊国丸」を後世に伝えたい – FAAVOしもきた

 

石川啄木の歌碑

 

一握の砂。

大海にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにき
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり

 

天童よしみ歌謡碑 みちのく慕情

 

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お店

お土産やさん。昆布など買いましたが、思ったより高かった。

 

観光案内所。

 

海峡のまぐろ屋。

➡食べログ

 

民宿も兼ねています

➡民宿海峡荘

 

マリンハウスくどう。

➡民宿も兼ねています

 

駐車場は無料

マリンハウスくどうと海峡のまぐろ屋の間にあります。

私は気が付かなくて海沿いに停めましたが、特に問題はなかったようです。

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